暇つぶしにどうぞ! 【美容師 渡邉大樹の歴史Vol.10】
こんにちは!ユートピアの渡邉です!
先ほど、YouTubeのチャンネルを少しだけカスタマイズさせて頂きました!
まだそこまで数多く動画がアップロードされてはいないのですが、こちらも暇つぶしにでも是非ご覧くださいね!
では続きをどうぞ!
暇つぶしにどうぞ! 【美容師 渡邉大樹の歴史Vol.10】
第十章 専門学校1年生時代
高校を卒業して、春休みも長かったので派遣のバイトを始めた。
引越しや建設現場の清掃など、色々なことをさせてもらった。陸上競技場のトラックを作る仕事もやった。
そして迎えた入学式。いきなり度肝を抜かれることになる。
「当学校は髪を染める・携帯電話の使用は禁止です。下校後、学校周辺で遊ぶことも禁止しています。」
え?そうなの?
美容学校なんて髪染めたいやつばっかりだと思っていたのに禁止?
そして、わざわざ千葉の田舎の高校から六本木に出て来たのに遊べない?
学校紹介のパンフレットには「六本木のお勧めスポット」ってデカデカと載っていたのに?
携帯も禁止だって?
うん、これはまあ仕方ないか。
何はともあれ規則が厳しい学校に入ってしまった。
元々高校も厳しかったのでそんなに辛くはなかったが。
友達は意外とすぐに出来た。
自己紹介でサッカーをやっていたことを話すと、周りから話しかけてもらえることが多かった。
クラスのほぼ全員が初対面同士なので、そこまで際立ってぽつんとする事はなかった。
ただ一つ気がかりなのが自分の服装である。
美容学校は元々オシャレな人が集まるところなのだが(そうでもない奴もいる)、私は高校時代制服かジャージしか着ていなかった。
友達もそんな感じだったし、「服を買いに行くのに着ていく服が無い。」という名言を残した奴がいるくらいだ。
春休みにバイトしたお金で2パターンくら買ったが、要するに一日置きで同じ服を来ていることになる。
一日休んだ人から見たら同じ服を着ていると思われる。
これはまずいと思い、またバイトを探さなければと思い、両国の居酒屋でバイトを始めた。(ちなみに専門学校は原則バイトも禁止だった。)
ここで初めて接客業をやる事になるのだが、店長が礼儀作法にめちゃくちゃ厳しい方だった。お辞儀の仕方や表情、注文の聞き方、伝票に記入する文字まで教育していただいた。
学校帰りに週3〜4日バイトをして、給料が入ると専門学校の友達と買い物に行き、服を徐々に増やしていった。今みたいにGUやH&Mの様なファストファッションブランドは無い。ユニクロはあったが、着ているとセンスを問われる時代であった。
ちょっとずつ美容学生っぽくなって来たところで1学期を終えた。
夏休みに入る直前、フッチの先輩で家も近所だったフクチ先輩から原付を売ってもらった。
最寄りの駅まで自転車で15分くらいかかっていたので、少々面倒になっていたのだ。
そして、夏休みに入り、原付で出かけようと思ったらいきなりすっ転んだ。
そう、私は運動神経が悪いのであった。忘れていた。練習も無しにいきなり原付に乗るとこうなる。
夏休みを大怪我でスタートさせる事になった。
夏休みは、専門で仲の良かった友達と有名な美容室に髪を切りに行ったりした。(宿題でそういう課題があった。)
父親の美容室しか行ったことがなかったのでめちゃくちゃ緊張した。
しかもカットしてくれたのは綺麗なお姉さんだった。
父親にしか切ってもらったことがないのに次はいきなり綺麗なお姉さんだ。
「今日はどんな感じに致しましょうか?」
お姉さんのカウンセリングが始まる。
いつも父親が勝手に切っていたので、そんなことを言われても困る。そんなこと考えた事もない。
そもそも何がカッコ良いのかも分からない。
とりあえず、雑誌を見て「こんな感じにして下さい。」と伝えた。
カット中も気さくに話しかけてくれて緊張が少しづつ解れていった。
仕上がりも素晴らしかった。
初めておしゃれな髪になれた気がした。(もちろん父親を卑下しているわけでは無いが。)
世の中の美容室事情にも触れながら学校生活は進んでいき、1年生の終わりにある「ビューティーショー」というヘアショーの準備が始まっていく。
学生同士でモデルをやったり、裏方をやったりしてショーを作っていくのだ。
私はモデルもやりながら一つのヘアースタイルも作ることが決まっていた。
日曜日も学校に行って準備をするのでこの時期は結構大変だった。
たまに衝突もあったが、一つの目標に向かって力を合わせた。
結果大成功という形で終わることが出来た。
後日、学校からビューティーショーのDVDが配られ、集金があった。
¥8000。
ちょっと高すぎると思った。
※Vol.11に続く
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