暇つぶしにどうぞ! 【美容師 渡邉大樹の歴史Vol.1】
こんにちは!ユートピアの渡邉です!
ユートピアでは、7日夕方政府が緊急事態宣言を発令する方針を固めたことを受けて、4月8日〜4月30日まで営業時間の短縮を実施させて頂きます。
【営業時間10時〜18時(カット最終受付17時)】
お客様には大変ご迷惑をお掛けしますが、何卒ご了承頂けますようよろしくお願い申し上げます。
さて、そんなわけで私に出来ることを全力で取り組んでいきたいと思います。
勝手に自分史を投稿していきます!笑
暇でどうしようもない方のみご覧ください!笑
暇つぶしにどうぞ! 【美容師 渡邉大樹の歴史Vol.1】
第一章 誕生から幼少期
1982年、蝉時雨が終わりを迎え、秋の訪れを感じるようになった8月31日、今度は雨が降り止まない。
夏の終わりを惜しむかのように振り続ける雨。その日の午後4時ごろ、渡邉大樹は誕生した。
千葉県市川市にて、美容師である父・寿男と母・美香の間に長男としてこの世に降り立った。
幼少期は食が細く、痩せていた。周りからもどちらかというといじめられてよく泣いていた。性格は非常に内気で臆病であった。
2歳の時に弟である海斗が生まれたが、出産前に母親が体調を崩し、父方の親戚の家へ数ヶ月預けられることになった。父親の叔母や叔父、従姉妹たちに可愛がられて過ごしていた。今でも毎年顔を出している。
弟の海斗は大樹とは正反対の性格を持ち、自由奔放でいつも母親から怒られていた。
弟が怒られているシーンを見ているだけで大樹は泣いていた。母親が怖かったのと弟がかわいそうだと感じていたからだ。
幼稚園に入り、たくさん友達が出来たが、1日に一回は泣かされていたという。また、運動神経が悪く、体操教室にも通っていたが友達と比べ、全然出来ない自分に恥ずかしさを感じていた。
また、この時期にサッカーというものを知る。一番最初に始めたのは、友達たちが園庭でボールを追っかけ回しているのがとても楽しそうだったので、「入れてー!」と言って参加させてもらった。
しかし、「じゃあキーパーね!」と言われ、「キーパーって何?」と聞くと「そこから動いちゃダメだからな。」と言われた。
まさかのボール追っかけ回せないパターンである。
日が経つにつれ、だんだんと(ボールを追っかけ回す)ことをさせてもらうことが出来るようになり、サッカーの楽しさを知った。
当時はまだJリーグも無く、スポーツと言えば野球という時代だったが、この時期にサッカーに出会えたことは後の人生を大きく左右することになった。
卒園前、体操教室に2年間通い続けた結果、マット運動の前周りが出来るようになった。
※Vol.2に続く
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