暇つぶしにどうぞ! 【美容師 渡邉大樹の歴史Vol.3】
こんにちは!ユートピアの渡邉です!
ユートピアにも新人が3人入ってきてくれました!
今日も早朝からシャンプー練習をしています。
コロナが落ち着いたときにちゃんと選んでもらえる美容師でいられるているか。
今の時期に何をするか・何を考えて行動するかは本当に大事になってくると思います。
1日1日を大事に、感謝して過ごして行きたいと思います!
では第三章に参りましょう!!
暇つぶしにどうぞ! 【美容師 渡邉大樹の歴史Vol.3】
第三章 小学校3〜4年生時代
ビーバーズでサッカー人生をスタートさせた私。ちょうどこの頃、弟の海斗も1年生になったことを受け、何か習い事をやらせることに。
家の前で一緒にボールを蹴ったりして遊んでいたので、弟も当然同じチームでサッカーをやることを思い描いていたのだが、初日の練習に向かうため、家を出発しようと思っている矢先にポツリと、
「俺、野球やりたいんだよね。」
は?
「野球?いやいや野球ももちろん素晴らしいスポーツだよ。でもやったことないし、いつも楽しそうにしてたじゃん?」
急遽のことだったので母親と慌てて説得を試みる。
渋々承諾してくれた弟を連れていざ練習開始。
私は運動神経が悪いのは第一章でも少し触れていたが、弟は幼稚園の時から運動神経がよく、どちらからというとクラスの中心的存在であった。
そんなにやる気がなく始めたサッカーも最初からそれなりに出来てしまい、5年生の時には市の選抜チームに選ばれるほどに。(私は入れなかった。)
なんとか弟もサッカーに打ち込むようになってくれたおかげで毎週土日はサッカー漬けの日々。
しかし、週二回の練習では少し物足りなくなっていた私は学校のサッカー部に入部。今では少ないのかもしれないが、市川市はほとんどの小学校で部活動が有り、特にサッカー部はとても人気があった。
三年生から入部することが可能なので、ほとんどの児童が素人である。
その反面二年生からビーバーズでキャリアをスタートさせていた私は一年間のアドバンテージがある。
きっと先生からも褒められまくるだろう。
期待を抱きなが練習に挑む。しかし、
「あ、あれ?みんなうまいぞ?」
ここで己の運動神経の悪さを改めて痛感することになる。
そう。私の運動神経の悪さはたかが一年間アドバンテージがあるだけでは補いきれない。
当然一年間一回もレギュラーになれなかった。
私の通っていた小学校のサッカー部は多い時で三年生から6年生までで100人弱ほど在籍していて、私の学年も40人近く在籍していた。
なので大会などは2チーム編成で挑むこともあり、当然ながらBチーム(いわゆる二軍)で参加する。
しかし、Bチームではそこそこ活躍することが出来るのであった。そうすると、先生からAチームへの帯同を認められる。
そこでアピールができれば定着出来ようものなのに、ここで運動神経だけでなくメンタルも弱すぎることが発覚。
途中出場するも全く何も出来ず、試合終了。→Bチームに降格。→活躍する。→Aチームで何も出来ない。→Bチームに降格・・・・・
と、いう感じで過ごしていた。ちなみに同じビーバーズで一足先にサッカーをやっていたカネゴン、ユータ君、まっちゃん達はずっとレギュラーだ。
4年生になってからもこんな感じでうだつの上がらないサッカー生活を送っていたが、ちょうどこの頃、ゴウヤと遊ぶことが増えてくる。
私はバスで通っていたので授業が終わってから練習が始まるまで、学校で練習したりしていたが、たまにゴウヤと遊ぶことが増えて来た。
ゴウヤの家は学校から近いのでよくお邪魔させていただき、部活までの短い時間だが2人で遊んでいた。とてもありがたかった。
ただ、ゴウヤは平気で練習に遅れようとする。「別にちょっとくらい平気じゃね?」
メンタルが異常に弱い私からしたら5分前には学校に戻っていたい。しかし、ここはゴウヤの家なので主導権は彼にある。
なんとかギリギリダッシュで間に合う時間に出て、息を切らしながら練習をスタートさせていた。
これが俗にいう、「フォーミングアップ完了」状態である。
※Vol.4に続く
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